思索の断片
玲瓏の庭を終えて
2026年7月12日から17日まで、京都・しまだいギャラリーで「玲瓏の庭」を開催しました。
日本画、書、いけばな、建築。
それぞれ異なる分野の表現が一つの場所に集まりました。
最初にこの展示のお話をいただいたとき、
正直なところ、自分が何をすればよいのか、まだよく分かっていませんでした。
けれど、準備を進める中で、少しずつ考えることが増えていきました。
京都という場所。
祇園祭という時間。
日本画やいけばなのこと。
そして、「庭」という言葉。
庭とは何か
庭とはなんなのか。
自然そのものでもなく、建物そのものでもない。
人が自然に手を加え、建築と関わりながら生まれる場所であり、建築もまた庭との関係によって、その姿や意味を変えていく。庭と建築は、それぞれが独立して存在するものではなく、相互に作用しながら連なっている。
そう考えていくと、庭には、光や風、季節、人の動き、時間など、さまざまなものが入り込んできます。
今回の展示も、作品を並べるだけではなく、それぞれの表現が関わり合うことで、一つの場所をつくることができないか。
そんなことを考えるようになりました。
準備を進める中では、最初からすべてが決まっていたわけではありません。
異なる分野の人が集まるからこそ、考え方も違います。
けれど、その違いがあるからこそ、思いがけないものが生まれることもある。
それも今回の展示の面白さだったように思います。

京都で考えたこと
ゴールデンウィークには桂離宮を訪れました。
また、ジェフリー・バワの展示や、京都で開催されていた草月WESTにも足を運びました。
庭、建築、自然、人。
それぞれを別々に見るのではなく、その間にある関係について考える機会になりました。

そして、7月。
祇園祭の京都で、「玲瓏の庭」は始まりました。

6日間という短い時間でしたが、そこに至るまでには、たくさんの人との出会いや会話、作品、
そして時間がありました。
一つの展示を終えてみて、改めて思うことがあります。
建築も庭も、形だけをつくれば終わるものではない。
人が関わり、時間が流れ、その場所に新しい関係が生まれていく。
「玲瓏の庭」は、そんなことを考えるきっかけになったように思います。
これから何回かに分けて、今回の展示を通して考えたことを書いてみたいと思います。
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